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2013/05/13

公開される建物情報<第2回>「旧燈明寺三重塔 その2」

前回使用した絵図に寺名が「東明寺」(全体絵図 左上)と記載されていて疑問を感じた方も多い思います。燈明寺の沿革は「旧燈明寺本堂修理報告書」等によれば

天平7年(735)聖武帝の勅願により、僧行基が開基となって造営した「龍王谷山観音寺」が「東明寺」の発祥で、その後、勅願を解かれ、ふたたび勅願寺として再興を繰り返します。康正3年(1457)延暦寺の僧によって天台宗の「東明寺」として、寛文3年(1663)には山城・本圀寺の僧により法華宗「本光山燈明寺」として再興されました。

ただし、前回使用した絵図は天明7年(1787)のものらしいので、本来であれば「燈明寺」となっていて良いはずなのですが・・・・・。
という訳で三溪園では最後の寺名の「燈明寺」を使用していますが、三重塔または、本堂を見に行った際には瓦を見てみてください。そこには「東明寺」となっている瓦が見られます。




来園者の方から「三溪は三重塔をなぜ移築したのか」と良く問われます。それに対して「三溪は幼い頃、母親の実家がある岐阜県安八郡神戸町の日吉神社でよく遊び、そこにあった三重塔を懐かしんで建てた」と答えることが多いようです。
下の画像は、その日吉神社にある三重塔です。フラットな敷地に建ち、屋根も瓦葺きではなく、桧皮葺きのようです。あまりにイメージが異なるように感じます。




ここからは研究者ではない事務屋の気楽さ故の想像です。
水(大池)と山とその頂上の建物の組み合わせと言えば、故郷の岐阜の長良川沿いから眺める金華山と岐阜城、ただし、山城である岐阜城は慶長年間に取り壊されていますので、自分がイメージした岐阜城を見ていたことと思います。戦国時代の象徴的な建物である城に変わり、三溪園では平穏な世の中が続くよう三重塔だったのではないのでしょうか。