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2013/05/21

公開される建物情報<第5回> 「旧東慶寺仏殿」

この仏殿は、駆け込み寺として有名な鎌倉の東慶寺にありました。東慶寺は明治の初めに新政府の政策により「縁切り寺」としての機能を失い、また、明治35年には創建から続いていた尼寺にも幕を閉じ、明治38年には「禅」を海外へ紹介したことで有名な釈宗演が住職となりました。今回は、当時宗教界きっての人物であった釈宗演を中心に話を進めたいと思います。


<江戸時代の東慶寺の伽藍>


<仏殿付近の拡大図>

移築されることとなった詳細は、よくわかりませんが、明治40年の移築されていますので、以前から原家と交流があった釈宗演が住職となり、寺側の事情もあり移築されたものではないでしょうか。
この建物を移築したときに三溪は、棟札に「禅師説法の道場にすることと、三溪園の鎮護とするために移築した」と記し、移築を了解してくれた寺側に配慮しているようです。また、実際に移築後、この建物で釈宗演の説法会も行われています。


<移築後、それほど年数を経ていない頃と思われる旧東慶寺仏殿>

釈宗演との交流は横浜原家初代の原善三郎の時代に始まっています。善三郎は明治32(1899)年2月に逝去しますが、葬儀は横浜久保山の円覚寺別院で執り行われています。釈宗演は明治25(1892)年 円覚寺派管長となっていますので、当然、その葬儀にかかわっていたと思います。
今回、公開される建物の一つである内苑の「天授院」は、原家では持仏堂として使用していましたが、建物名は善三郎の戒名「天授院殿仁誉寿嶺宗泰大居士」の一部をとったといわれています。この戒名を付けたのが釈宗演であるならば、相当な思いを込めたものだと思われます。「天授院」というのは、釈宗演が、僧として本格的な修行についた寺名、京都妙心寺天授院からとったと思われるからです。
妙心寺天授院は現在、非公開ですので、ネット上で検索した場合、門の外側から撮影した画像がほとんどです。偶然だと思いますが、それを見て驚きました。というのは、その画像が、三溪園の御門から撮影したものと非常によく似ていたからです。

今回で外苑にある建物が終わりましたので、次回からは内苑の建物となります。