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2013/05/24

公開される建物情報<第6回>「臨春閣」

この建物を購入、移築した三溪は、仲介者の「聚楽第の遺構の一部」というふれ込みを信じて購入しています。しかし、戦後、三溪園復元の中心となった東京工業大学藤岡通夫先生は、意匠等からそこまで古くなく、紀州徳川家の夏の別荘「岩出御殿」とされ、その後、大阪の春日出(大阪市此花区)に移築され、「八州軒」と呼ばれていたものを三溪が購入し、移築したものだということとなりました。三溪園でもそれにそった説明を来園者の方に行っています。紀州候が紀の川沿いの岩出に夏の別荘を建てたという記録はあるそうですが、それが臨春閣であるという確証、例えば、天井裏の柱等に「紀州○○」や「岩出」などの墨書、紀州家の文書記録に「岩出御殿を大阪に・・・」のようなものは一切見つかっていません。



<岩出御殿があった付近には、現在、入浴設備等がある公共施設「いわで御殿」があります>



<解説板には、岩出御殿が移築され、現在、三溪園にある旨の説明 撮影は上の画像とも6年前>
 
昨年、横浜の書店「有隣堂」から「三溪園の建築と原三溪」という本が出版され、その中で著者の神奈川大学名誉教授西和夫氏は岩出御殿説を否定して、大阪で建てられた「会所」説を発表しています。この本は書名からもわかるとおり、今回公開される、そのほかの建物についても書かれていますので、公開時にお越しになる予定の方にはおすすめです。事前に読んでいただく方が当然良いのですが、入手できない場合は、三溪園でも販売していますので、ご利用下さい。



<三溪記念館で販売しています 1、000円+税>

この建物は3棟が雁行した形で結ばれているので、内部見学される前に前庭にまわり、外観を見て建物全体の形を確認してからの方が理解しやすいと思います。
また、外観を見ると屋根が軽やかな感じとなっています。これは、下層を「こけら」、上層を「桧皮」と植物系で葺いているためです。しかし、三溪園に移築される前の大阪時代の写真があり、これを見ると屋根は全て瓦葺きとなっています。
三溪は移築にあたり、自身のセンスで屋根を葺き替えているのですが、見慣れてしまったせいか、非常にマッチしていると思うのですが。



<大阪「八州軒」時代の第二屋 見づらいですが屋根が瓦葺きとなっています>



<現在の「臨春閣」の第二屋>