三溪園の中でもっとも大きい、のべゆか面積950平方メートルの建物で、その名前は鶴が飛ぶ姿を思わせる外観によるといわれています。 明治35年・1902年に原三溪が自らの住まいとして建て、以降20年に及ぶ三溪園の造成はここから始められました。また、ここは横山大観など日本画家たちが集い、滞在して絵の制作を行うなど、近代の日本文化をはぐくんだ文化サロンでもありました。哲学者のわつじてつろうの著作「こじじゅんれい」の冒頭には、京都・奈良への旅をここから出発したことが記されています。 現在の建物は、震災や戦災などをへて改築されていたものを平成12年・2000年の修復工事により明治35年当初の姿に戻したものです。