桃山時代の1591年に豊臣秀吉によって造られた建物で、内部には秀吉の母のおおまんどころのせいぜんぼであるじゅとうが置かれていました。 桃山時代らしい豪壮な彫刻の扉や、柱などの部材には建築された当初には鮮やかな彩色が施されていましたが、現在は一部にその跡が残るのみとなっています。 この建物があったてんすいじという寺は京都の大徳寺の中にありましたが、明治時代の初めにはいじとなり現在は存在していません。 三溪園に移されたのは明治38年・1905年のことで、内苑で最初に移築された建物です。