飛騨白川郷の一部、現在の岐阜市しょうかわちょうにあった、江戸時代後期の合掌造りの民家建築です。 ダムの建設によって水没する地域にあったため、昭和35年・1960年に三溪園に移築されました。 玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、寺院建築などに見られる、かとうまどと呼ばれる、かえんがたの窓が付けられるなど、農民ながら飛騨のさんちょうじゃの一人といわれたやのはらけの繁栄ぶりを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。屋内では、移築の際に飛騨地方から集められた民具が展示されているほか、いろりには毎日火が焚かれています。黒光りした柱や梁、煙の匂いからは白川郷の昔の暮らしを感じとれます。