三溪園通信
秀吉と三溪園
2026.05.02
豊臣秀吉がブームである。
三溪園には歴史上の人物に関連する建物が多く集められているが、中でも注目されるのが秀吉ゆかりの建物と石造物である。一般公開を前提に自然の起伏を生かして造られた野趣あふれる外苑の奥には、原三溪がプライベートで使っていた内苑の庭園がある。三溪は、ここに自らの理想を詰め込んでこだわりの空間を造りあげた。その中心をなす建物が臨春閣。三溪が入手した当時、この建物は秀吉が千利休にその意匠を任せて造営させた聚楽第 じゅらくだいの遺構といわれていた。三溪園への移築にあたっては屋根の素材や形状、池に面して3つの棟を奥にずらしながら連結させた配置など自らの美意識を反映させて外観を大きく変更したほか、周辺には秀吉が愛用したという瓢箪文手水鉢、母の大政所の長寿を祈って建てた旧天瑞寺寿塔覆堂などを配した。実に構想期間を含めて11年もの歳月をかけ、念入りに移築した。さらに内部にも側室・淀君使用と伝わる琵琶など、現在でも桃山史料として三溪園に遺されている一群の調度の数々を常に飾り、あたかも秀吉が暮らしているかのように趣向を凝らした。
イマーシブ(没入体験)が注目されている今、本物の歴史的建造物などで構成された三溪園の空間に身を置いて秀吉が生きた桃山時代に想像を膨らませてみてはいかがだろう。
臨春閣は当時、“桃山御殿”とも呼ばれた。現在は紀州徳川家の別荘・巌出御殿の遺構とされている。

(2026年4月号広報よこはま中区版寄稿)














