三溪園

9:00~17:00

(最終入園 16:30)

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三溪園通信

三溪園と奈良

2025.05.02

原三溪が三溪園の造成にとりかかったのは明治35(1902)年頃のこととされている。着手からまもない明治36(1903)年と38(1905)年には雇い入れた庭師に関西方面を視察させ、奈良では懇意にしていた法隆寺門前の骨董商・今村甚吉(じんきち)にその面倒を任せた。「法隆寺のほか、前方に塔を置いた三笠山の風景、灯篭・手水鉢など名のある石造物をぜひ案内してほしい。」三溪園が所蔵する同氏に宛てた三溪の手紙には具体的な注文が記され、庭師たちにこれから進めていく三溪園の造成趣旨を伝えるうえで必要な知見を持たせた。

園内は震災・戦災などを経て様変わりした箇所も少なくないが、各所を歩けば三溪が構想したイメージの一つ、“奈良”を投影した風景が現在でも見えてくる。中でもそれが凝縮されているエリアが、三溪が特にこだわった内苑だ。江戸初期の数寄屋風書院造建築・臨春閣を中心とした瀟洒な趣の庭園奥には、対照的な廃寺址のような荒涼とした空間が広がっている。東大寺旧蔵と伝わる礎石や海竜王寺付近の古墳出土の石棺、秋篠寺旧蔵といわれる灯篭、光明皇后使用の伝承がある法華寺旧蔵の水船など、奈良にゆかりの石造物が配置されたなかに堂守が住む小屋という構想の茶室・蓮華院が建てられ、さらにその隣の丘の上にはかつて吉野・金峯山寺(きんぷせんじ)旧蔵の鐘楼もあった。

屋外での散策が心地よいこれからの季節、いざ三溪園へ。

天授院前の流れに据えられた、光明皇后使用の伝承がある水船

(2025年5月号広報よこはま中区版寄稿)

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