三溪園通信
画才が生んだ、紅葉の風景
2023.03.06
三溪園は、明治39(1906)年から一般に開放された外苑と原三溪がプライベートで使用していた内苑の2つの庭園から構成されている。
故郷・岐阜のイメージを投影したといわれる外苑に対して、内苑では三溪が理想とした世界が具現化されている。中でも京都・銀閣寺を思わせる聴秋閣周辺は大正11(1922)年に造成されたエリアで、ここをもって三溪園全園が完成した。
もと二条城内にあったと伝えられる瀟洒(しょうしゃ)な建造物の聴秋閣の奥には、奈良から運んだ大きな岩を各所に配した渓谷が造られている。
あたかも一帯は深山幽谷の趣。すぐ背後には住宅地が迫っているとはみじんも感じさせない自然のままのような風情からは近代の日本庭園にみられる特徴である写実的な表現が採られていることがよくわかる。
秋の季節、渓谷の中腹から下流側をかえりみれば、そこには紅葉に包まれた聴秋閣と後方遠く丘上にそびえる三重塔とが一幅の山水画をみるような風景を造り出している。
画家であった祖父の血を受け継いだ、まさに三溪の画才が見事に発揮された絶景である。
(211007広報よこはまなか区版寄稿)