三溪園通信
今に遺る、食通・三溪のもてなし料理
2023.04.04
今からちょうど100年前の大正12(1923)年4月、三溪園では全園を使った大きな茶会が2日間にわたって催された。
大師会茶会と呼ばれる、現在でも続いているこの茶会は、もと三井物産の創始者・益田鈍翁(どんのう、本名・孝)が、明治29(1896)年に東京品川・御殿山の自邸で始めたもので、各界の名士たちを招いて行われた。その鈍翁邸から会場を移して最初に行われたのが、この時の茶会であった。
鈍翁と三溪は、ともに近代の三茶人のうちに数えられるが、茶の湯以外にもビジネス、古美術の蒐集などでも深い交流があった。
三溪園を会場としたのは、前年に完成した庭園のお披露目のためでもあったようだ。園内には茶席のほか美術品の展観席や食事・菓子を供した茶屋など一八にも及ぶ席が設けられ、2日間で約600名の参加者を数えたといわれる。その中には「麗子像」で知られる画家の岸田劉生(りゅうせい)の顔もあった。
そこで、参会者の目を引いたのが、今はなき山吹茶屋で出された三溪考案の「山吹そば」である。
参加者の着物に汁が飛ばないようにとの配慮から細いうどん状の麺の上には豚肉や筍、椎茸などを炒めたあんをかけ、それを絡めて食べさせる趣向で、中華料理、西洋料理にも通じた三溪の面目躍如たる逸品だった。
この料理は、その後、長女・春子の家に受け継がれ、今でも「三溪麺」として園内の茶店・待春軒で味わうことができる。
山吹が彩りを添える庭園とともに、三溪が創り出した食の遺産もぜひ楽しんでいただきたい。
写真:大師会当日の原三溪
(230210広報よこはま中区版寄稿)