三溪園通信
徳川家康と月華殿
2023.08.26
原三溪が京都や鎌倉などから三溪園内に移築した建造物には、日本の歴史に名を遺した人物ゆかりのものが多い。三溪園開園からまもない明治43(1910)年3月15日の横浜貿易新報には、園の造成・開園の動機について三溪自らが寄稿した記事が見える。それによれば、ただ建物を保存するためだけではなく、歴史上の人物の遺物を蒐集し公開することで、明治維新・文明開化の時代を経て大きく価値観が変わってしまった日本人に自国の歴史や文化にあらためて目を向けさせ理解を深めてもらおうとした意図があったことがうかがえる。
現在園内では平成30(2018)年度から始まった重要文化財建造物の大規模修繕事業が続行中だ。約30年ごとのサイクルで繰り返し行われてきた屋根の葺き替えや傷んだ木部の修理のほか、今回の事業では耐震補強など、貴重な歴史的建造物を後世に遺すための念入りな工事も施されている。目下、三棟目となる月華殿( げっかでん) の修繕が来年度の竣工をめざして進行中である。月華殿は、大河ドラマで話題の徳川家康が京都での居城とした伏見城内に慶長8(1603)年に建てられたとされる。この年、家康は征夷大将軍となり、以後260年余にわたる江戸時代の泰平の世の幕が開けた。
今後もしばらく続く大規模修繕をとおして、こうした建物の歴史そのものも遺し伝えていきたい。
写真:月華殿内部。伏見城では大名伺候の際の控えの間として使用されたといわれ、その後宇治の茶商・上林三入、三室戸寺金蔵院を経て、三溪園には大正7(1918)年に移築された。
(230610広報よこはま中区版寄稿)